『お金の使い道』を考えるには、「自分の〇〇」を意識することが必要
こんにちわ、まさとです。
今回はあなた自身にも是非一緒に考えてもらいたいテーマを記事にしました。
テーマは『お金の使い道』です。
そして、お金の使い道を考えるうえで、「自分の最期」を意識することが重要という事を先にお伝えしておきます。
今回お金について考えるきっかけになった
父親から来たメールの一部をまず紹介します。
やがて反抗期が来て、時には
高校生にでもなると、お互いが
やがて家を出た後は、正
それは金の無心。うち
駆けつけ
若い時は夢だ革命だと飛び跳ねていた私ですが、今、此の期に及ん
ことは一つ、最期に一緒にいたいのは家族です。先日、夢でね、あ
男が枕元に立って、なん億の札束を積んで、多分中国語で何か私に
すが(よく聞き取れなかった)、私は、中国語で「不对什么有用」
も立たないよ)で答えていました。
『最期に一緒にいたいのは家族』
さらには
「札束は何の役にも立たないよ」
この言葉がわたし自身に、あらためて『お金の使い道』について考えるきっかけになりました。
父親のことは以下の記事で現状をお伝えしています。
お金の使い道
さて、ここで質問です。
あなたは、『お金』をどのように使っているでしょうか??
・洋服やカバンなど装飾品に使う
・美味しいものを食べることに使う
・旅行に行くのに使う
なかには、生活をすることにいっぱいいっぱいで
それ以外にお金を使う事なんてできない!という人もいるかもしれません。
お金とは不思議なもので
使い方には、人それぞれの価値観が現れるものです。
わたし自身、決してお金持ちの裕福な家に育ったわけではありませんが
生活に不安を感じたことはありませんし、不自由を感じることもありませんでした。
一般的な家庭よりは少ないかもしれませんが、
わたしが小さい頃には年に数回家族で国内旅行に行ったりもしました。
高校・大学も私立に通わせてもらい、恵まれた環境を与えてもらいました。
ここに関しては、両親に感謝でしかありません。
わたし自身は守られた環境で育ちましたが、両親はともに学生時代から自分の学費を自分で稼いだ人です。父親に関しては時代背景もありますが、小学生のころから新聞配達で自分の学費をまかなってきた苦労を経験しています。
そんな両親が与えてくれた環境の中で育った価値観(お金に関して)は
『生活に困らない範囲でもっていれば十分』
というものです。
とくにモノに関しては『高級思考』は一切ありません。
『ひとつのモノを大事に長く使う』という価値観で育ったこともあり、わたし自身『ブランド品』や『外車』、『高級時計』といったものにほとんど興味がありません。
家族で行く旅行や、食事にお金を使うことが多かった両親の影響もあり
モノではなく、思い出に残るような『時間』に重きを置く価値観になりました。
さて、もう一度質問です。
正しさはないが、問題点は存在する
お金の使い方に関して、
「正しい」「正しくない」は存在しないと考えています。
(人を不幸にするようなものや、犯罪は別の話です)
人それぞれ与えられた環境も、築き上げてきたものも違います。
その中で育った価値観に「正しさ」というものは存在しないと思います。
それぞれの「正しさ」があっていい。
豊かな人はその分多くのお金を使って、経済を回すことが必要でしょう。
貧乏な状況であれば、現状にあきらめることなく少しでも努力をしていく必要はあります。
ただ、
「お金があるところには余るほどあり、お金がないところには生活困窮すほどない」
この格差が広がってしまってしまい、最低限の生活すら守られないのは問題です。
努力した者がそれだけの結果を得る。
努力しない者は、自分の責任だ。
こう言ってしまうのは簡単ですが、とても残酷であることを認識しておかないといけません。
今のあなたが仮に何かで成功していたとしていても、
不慮な事故や、想定外のトラブルに巻き込まれどん底に落ちてしまうことがあります。
そのときに、自分の努力不足ではない部分であらがえない状況の時に、自己責任という言葉で終わらせてしまうのは、あまりにも残酷です。
日本に住んでいる時点で私たちは恵まれていますが、世界を見渡すと
努力がしたくても、どうしてもできない環境の中で生きている人が沢山います。
「お金がない」にも大きな差があり、すべての人に平等に分配はされていないのが実際問題。
さらに『機会の不平等』という事に関しては、
今後、改善をしていくべき問題だと思います。
『最期』を意識するとお金の使い道が変わる
以前の記事
のなかでも述べましたが
『人は誰でも豊かになるべき』だと思います。
必要最低限のお金はないと、生きていけません。
父親のように、『最期は家族と一緒にいたい』
これは、誰しもが最後を迎えるときにたどり着くであろう境地のようなものだと思います。
この境地に至(いた)り、それを実現するには
やはり最低限守られるべきものが必要です。
その条件のひとつに「生活のためのお金」というものが存在していることも事実です。
最期をむかえる時のため、準備を両親がしてきていた。
それがあって、父親は最期を迎えるにあたって、「札束は何の役にも立たないよ」と心の底から言えている。
「将来のことを考えて、今のお金の使い方を見直そう!」
という浅い言葉ではなく、もう一段階深い部分。
「自分が死を迎えるときに、今のお金の使い方は何を残してくれるのか」
これを考えてみることは、
一つの『お金の捉え方』として持っておくべき指針になるのではないでしょうか。
わたし自身も再度、『お金の使い道』を考える際に
「最期を迎えるときに何を残してくれるのか?」という指針を持っていこうと思います。
最後にもう一度質問です。
今のあなたのお金の使い方は
最期を迎えるのにあたり「何かが残るような使い方」でしょうか。
もちろん、お金の使い方が全てではなく
「生きてきた人生すべてにおいて、お金以上の何かを見つける事が出来るか」
これも大切なポイントになることは言うまでもありませんよね。
以上、『お金の使い道』を考えるには、「自分の最期」を意識することが必要
でした!
コメント